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ALEXANDER

わずか20歳で王となり、ただの一度も戦いに敗れることなくたった10年で史上始めて世界を統一したマケドニアの若き王アレキサンダー。

このコレクションは、彼やヘラクレス、クレオパトラなど当時の英雄が刻まれた<古代ギリシャコイン>と、 その圧倒的な強さから"有角王"と呼ばれ"ゼウスの子"と拝められた彼を表わす「角」をメインモチーフとしている。

チェーンのテールには10代半ばにして父母、民衆の見守る中、誰も乗る事が出来なかった荒馬を乗りこなし、 それ以降生涯の友となった<愛馬ブーケファラス>や、戦いの時に被っていた<羊>を採用。

戦いの旅と、その後の文化・経済・芸術に多大な影響を与えた異文化交流と東西融合の証しとして ヨーロッパからアフリカに渡り細工された「ヂンテツッハバラベビーペ」を使用。

絶対的思想を表現するコインの裏側のギリシャ神話の神々。使用しているチェーンには全てカットを施し、コインはひとつづつカシメてつないでいる。

愛と友情にあふれ、民衆の自由を求め世界の果てを目指し旅したアレキサンダー。彼の情熱や勇気がテーマ。

Aleksandros III (BC356 - BC323)

紀元前356年、息子を王にする事だけに情熱を燃やし、快楽と狂気の神ディオニソスへの崇拝に魂を捧げる母オリンピアス。 屈強な羊飼いを集め強大な軍を作り衰退したギリシャから頭角を表し、ペルシャ帝国を脅かす存在となったが我が子にすら権力を奪われる事を恐れ、 彼を突き放す無学な父マケドニア王フィリッポス。この間にアレキサンドロス三世は産まれた。

アレキサンダーの幼い日々に安息の時はなかった。両親の愛に飢えたアレキサンダーは同年代の友人達との友情に心の平安を見出し、格闘の技に秀で、 家庭教師だったアリストテレスも一目置く学問の才能を持つ青年に成長する。 そんな時父フィリッポスが何者かに暗殺され、悲しみも癒えないうちに王となった20歳のアレキサンダーは世界征服に旅立つ。

紀元前336年の出来事である。

テーバイの人々を虐殺しアジア各地に進軍し全ての戦いに勝利し、西アジア全域を制覇、24歳でエジプトの王となる。 人々はその無敵の強さを畏れ、彼を''有角王''と呼び''ゼウスの子''と拝めた。

紀元前331年、ペルシャ帝国の都バビロンにて将兵達の制止を振り切り、4万の軍隊で25万のペルシャ軍に立ち向かい多くの犠牲を出しながらも勝利する。 バビロンを征服したアレキサンダーは奴隷達を解放し、敗れたダレイオス王の一族にも家族として扱うと約束する。 民衆には熱狂的に歓迎されたが、アジア人を軽蔑する彼の部下達はアレキサンダーの真理が理解出来ず、不満を抱きだす。

アレキサンダーの真の世界征服の目的は、制服した国の人々の解放であり、学問を広めて彼らの精神も解放することであった。 しかし、こうした考えはギリシャの人々には受け入れられなかった。 アレキサンダーがバクトリアの王女ロクサネを第一夫人に迎えた事により将兵達の我慢が限界に達した。 アジア人との子供が次の王になることなど到底許せないことだったからだ。

暗殺を企てられ、愛と友情を見失い、バビロンの栄華を捨て長い行路の末にアレキサンダーは遂にインドの地を踏むが 彼の真意を理解しない将兵達に戦う意欲は無く残存する敵対勢力を駆逐しながらも帰還することとなる。

バビロンに戻ったアレキサンダーはそれでもアラビア遠征を計画していたがある夜の祝宴中に倒れ「最強の者が帝国を継承せよ。」と遺言し死去してしまう。

アレキサンダーはアレクサンドリアと名付けた都市を建設し経済の活性化を計り、図書館などを完備してギリシャ文化の浸透を推進し、 さらには東西融合に心を配り自らバクトリアの王女ロクサネを第一夫人に迎え、部下にもペルシャ人との集団結婚を奨励し、 ペルシャ風礼式を取り入れた結婚式を上げさせた。

また、これらの事によりギリシャ文化がオリエント文化と融合し、ヘレニズム文化がアレクサンドロス帝国に開花。ミロのビーナス、 サモトラケのニケなどの優れた彫刻が各地で制作され、ユークリッド、アルキメデスなどの優れた学者も輩出し、古代ローマ、イスラム、ヨーロッパに強い影響を及ぼす。 ガンダーラ美術にも大きな影響を与え、遥か極東の日本の東大寺の柱にまでヘレニズム文化の痕跡が認められている。